川部弘明(日本コンピュータシステム株式会社代表取締役社長)、Class of 2004
異文化とは、国籍や言語の違いだけを指すものではない。
日本本社と海外現地法人。買収する側と、買収される側。長期計画を重視する日本企業と、年次の成果を重視する海外企業。介護現場とIT企業。道徳と経済。
川部弘明さんのキャリアは、そうした異なる前提、価値観、知のあいだに立ち、それらをつなぎながら、新しい価値を生み出してきた歩みである。
一橋ICSを2005年に修了後、川部さんは損保ジャパンに戻り、人事部を経て、海外事業の立ち上げに携わった。2008年からはシンガポールに駐在し、アジア事業の拡大を推進。その後、日本国内での合併に伴うPMO・PMIを経験し、2015年からはブラジルに駐在した。現在は、SOMPOホールディングスグループの一員である日本コンピュータシステム株式会社の代表取締役社長として、介護ソフトウェア事業を担い、介護という社会課題に向き合っている。
本対談では、ICSでの学びが、海外事業、買収後の統合、介護IT、そして社長としてのリーダーシップにどのように生きているのかを伺った。
鈴木
ICSを卒業された後、どのようなキャリアを歩まれてきたのでしょうか。
川部
ICSを2005年8月に卒業して、損保ジャパンの人事部に戻りました。その後、2008年から海外事業の立ち上げに携わることになります。
当時の損保ジャパンは、競合他社に比べると国内事業の比重が高かったんです。そこで、海外展開を加速するために、シンガポールに中間持株会社をつくり、M&Aを活用しながらアジア事業を拡大していくことになりました。
私はその推進責任者を支える立場で、2008年10月から2012年3月までシンガポールに駐在しました。
鈴木
ICSでの経験は、すぐに海外事業の現場で生きたのでしょうか。
川部
そうですね。ICSでは、当時50人ほどのクラスのうち、日本人は3分の1ほどで、残りは海外からの学生でした。日々、異なる考え方や価値観を持つ人たちと議論していたので、海外事業に移った時も、相手との違いに過度に戸惑うことはありませんでした。
その意味で、ICSで多文化の中に身を置いた経験は、すぐに現場で生きたと思います。
鈴木
その後、ブラジルにも駐在されていますね。
川部
はい。2015年1月から2018年3月まで、ブラジルに駐在しました。日本本社側の責任者として、現地のブラジル人CEOと二人三脚で、PMI(Post Merger Integration、買収後に組織や業務、文化を統合していくプロセス)を進める立場でした。
現地では、日本人とブラジル人の考え方の違いを強く感じました。一方で、日本から遠く離れている以上、いちいち親会社に確認を取りながら進めることはできません。その場で意思決定し、チームで解決していく必要がありました。
鈴木
まさに、異文化の中で経営を実践する場だったのですね。
川部
そうですね。異なる文化や価値観を持つ人たちと、同じ方向を向いて事業を進めていく必要がありました。そこで経営をするうえで、ICSで学んだEast and Westの考え方は、すごくベースになっていたと思います。
ブラジルでは、日本企業らしさをどう伝えるかも重要でした。日系人の方々も多く、日本人や日本企業に対する一定のリスペクトはあります。ただ、それでも日本企業の意思決定の仕方やビジネスの進め方を、現地の人たちに理解してもらうのは簡単ではありませんでした。
鈴木
どのような違いがありましたか。
川部
たとえば、日本企業は3年、5年の中期計画をつくり、そこから今年何をするか、来年何をするかを考える傾向があります。一方、海外では、3年後、5年後よりも、まず今年の目標をどう達成するか、そこに対するリターンは何か、という発想が強い。
意思決定の進め方も違いました。日本企業では、関係者が集まり、みんなで意思決定してから実行に移ることが多い。一方、海外では役割分担が明確で、それぞれの責任者が自分の領域で実行し、一定の段階になって初めて経営会議などに上がってくる。
そうしたプロセスの違いは大きかったですね。
鈴木
その違いをつなぐことが、PMIの大きなテーマだったのですね。
川部
はい。特に金融のような非製造業では、日本企業の強みを工場や製品のように目に見える形で示すことが難しい。製造業であれば、生産技術や現場の改善プロセスなどを通じて、日本型の強みを説明しやすいかもしれません。
でも、金融ではそうはいきません。だからこそ、日本企業らしさを言葉や行動で伝え、それを理解して、現地で一緒に動いてくれる人たちの力を引き出すことが重要でした。
鈴木
ICSで学んだことの中で、特に役立ったものはありますか。
川部
組織行動論はすぐに役立ちました。人はどのような動機で動くのか、組織の中でどのように意思決定し、行動するのか。そうした知識は、異文化の中でマネジメントをするうえで非常に実践的でした。
一方で、竹内弘高先生や野中郁次郎先生から学んだことは、少し時間が経ってから意味がわかってきました。特に、野中先生の「場」や、暗黙知と形式知の相互変換という考え方です。
ブラジルでは、ブラジル側が持つ現地の知見や暗黙知と、日本側が持つ経験や暗黙知を、それぞれ表に出し、混ぜ合わせていく必要がありました。そこから、新しいプロセスをつくっていくことが求められていたのです。
鈴木
ICSで学んだ知識創造理論を、PMIの現場で実感されたのですね。
川部
そうですね。卒業直後に完全に理解できていたわけではありません。ただ、3年、5年、10年と経つうちに、自分の役割も重くなり、「あの時学んだことはこういうことだったのか」と膝を打つ場面が多くありました。
知識創造は、理論として学ぶだけではなく、現場で異なる人たちと向き合い、暗黙知を表に出し、互いの知を重ねていく中で、ようやく実感できるものなのだと思います。
鈴木
現在は代表取締役社長を務めていらっしゃいます。社長になって初めて見えた景色はありますか。
川部
やはり、社長の一言は重いですね。
自分が「右だ」と言えば、みんな右を向く。「左かもしれない」と言っただけでも、組織は敏感に反応します。社長の言葉は、それだけ組織に影響を与えるのだと感じています。言葉だけではありません。振る舞いや行動も見られています。社長が迷ったり揺らいだりすると、組織の人たちはそれを感じ取ります。だからこそ、社長自身が、何を見て、何を考え、どのような問いを持つのかが非常に重要になります。
鈴木
社長として、意思決定の場ではどのような役割を意識されていますか。
川部
社内の意思決定では、会社のことをよく知っている人たちが集まります。それは大きな強みです。一方で、よく知っているからこそ、心地よい“当たり前”の結論に至りやすい面もあります。その当たり前が、世の中やお客様の感覚からずれていることもあります。
だから社長は、その場に出ていないものを見る必要があると思います。声の大きい人の意見や、目先の数字だけでなく、「本当にそうなのか」「お客様からはどう見えているのか」「外から見たらどうなのか」といった問いを投げかける。そこに外の視点を入れることが、社長の大事な役割だと思います。
鈴木
その外の視点を持ち続けるために、意識されていることはありますか。
川部
外の人たちとのコミュニケーション機会を増やすことです。
社長や役員になると、自分の立場や会社の事情を理解してくれる人たちに囲まれます。それ自体はありがたいことですが、その環境に慣れすぎると、視点が内向きになってしまうこともあります。
外に出れば、自分は一人の社会人にすぎません。相手の方が経験豊富なことも多く、そうした方々と対等に向き合うためには人間力が試されます。そうした場に数多く身を置き、自分の考えや会社の常識を相対化することが大事だと思います。
鈴木
ICSでの経験も、その意味で役立ったのでしょうか。
川部
はい。ICSには、多様なバックグラウンドを持つ人たちが集まっていました。専門性も、立場も、ものの見方も違う。そうした人たちと議論する経験は、なかなか他では得られません。
ICSでは毎日、授業やケースに格闘していました。本当に濃い時間でした。チームビルディングから始まり、家族よりも長い時間を同級生と過ごすような一年でした。
自分とは違う考え方に触れながら、一緒に何かをつくっていく。ICSでのその経験は、後の海外駐在や経営の現場で大きな土台になりました。
鈴木
現在は介護ソフトウェア事業に携わっていらっしゃいます。介護という領域では、経営者としてどのような難しさを感じていますか。
川部
介護事業に関わるようになって強く実感したのは、介護はまさに道徳と経済で成り立っているということです。
介護職員の方々は、おじいちゃん、おばあちゃんの役に立ちたいという思いで仕事をしています。そこには明らかに道徳があります。
一方で、介護も事業である以上、継続していかなければなりません。収益を上げなければ、サービスを提供し続けることはできません。
たとえば、一人の高齢者に対して手厚く寄り添えば、その方にとっては嬉しいことかもしれません。しかし、特定の方に時間や人手をかけすぎると、他の利用者への対応が手薄になり、サービス全体のバランスが崩れてしまいます。結果として、事業としての持続性も損なわれかねません。
目の前の一人を大切にすることと、必要とする人たちにサービスを届け続けること。その両方をどう成り立たせるか。介護は、そのバランスが非常に重要な事業だと思います。
鈴木
まさに、道徳と経済の両立が問われる領域ですね。
川部
そうですね。単に収益だけを追求すればよいわけではありません。一方で、思いだけでも事業は続きません。
だからこそ、介護の現場が大切にしている思いを尊重しながら、事業としても持続可能にしていく。その一見、両立が難しい課題をソフトウェアで解決していくことがこの事業の醍醐味ですし、私たちに求められているのだと思います。
鈴木
AI時代において、MBAは価値を持ち続けられると思いますか。
川部
はい、持ち続けられると思います。
今、ITの世界でも問われているのは、単に技術を知っているかどうかではありません。相手のビジネスや業務を理解し、そのうえでITソリューションを提案し、実装していく力です。実装の段階ではAIを使うことになると思いますが、何を実装すべきかを考えるには、経営全体を見る力が必要です。
その意味で、MBAのように複眼的に経営を学ぶ機会は、なくならないと思います。
鈴木
知識だけなら、オンラインでも学べる時代になりました。それでもMBAに意味があるとすれば、どこにあるのでしょうか。
川部
やはり、「場(Ba)」であることです。
MBAは、単に知識をインプットするだけのものではありません。同じケース、同じ問いに向き合っていても、参加者によって見えているものが違います。それぞれの経験や価値観が、議論の中に持ち込まれる。
その中で、自分一人では見えていなかった前提に気づき、考えが揺さぶられ、見方が変わっていく。そこに、同じ場に集まって学ぶ意味があると思います。
AIと壁打ちをすることはできます。でも、自分とは異なる経験を持つ人たちと、その場で議論を展開していく経験は、AIとの対話とは違うものです。そこにMBAの価値があると思います。
鈴木
最後に、ICSの後輩や、これからICSを目指す方に向けて、メッセージをお願いします。
川部
ICSは、他にはない学びの機会だと思います。
MBAの一年、二年は本当に忙しいと思います。私たちの時代も、授業や課題に追われ、非常に大変でした。でも、それをやりきって社会に出ていくことには、大きな意味があります。
20代、30代の時期に、自分のこれまでの経験を教室に持ち込み、多様な人たちと議論する。自分とは違う考え方に触れ、次の成長につながる土台をつくる。
それは、その後の10年、20年のキャリアを考えるうえで、非常に価値のある経験になると思います。
鈴木
今日はお忙しいところ、ありがとうございました。ICSでの学びを、海外事業、PMI、そして介護事業の現場で実践されていることを、とても心強く感じました。これからも、異なる価値観や知をつなぎながら、介護という領域で新しい価値を生み出していかれることを楽しみにしています。
シンガポールでの海外事業立ち上げ、ブラジルでのPMI、そして介護ソフトウェア事業の経営へ。川部さんの歩みは、一見すると異なる領域を渡り歩いているように見える。
しかし、その根底には一貫した姿勢がある。
異なる文化や価値観のあいだに立ち、見えにくい知を引き出すこと。場にない視点を投げかけ、意思決定の質を高めること。そして、組織の中に新しい理解と納得を生み出していくこと。
ICSでの学びは、知識を得ることにとどまらない。異なる視点と向き合い、自分の見方を揺さぶられながら、よりよい判断をつくっていく訓練でもある。
川部さんの歩みは、その学びが、海外PMIの現場で、社長としての意思決定で、そして介護という社会課題に向き合う経営の現場で生き続けていることを示している。
ICSが育てようとしているのは、正解のない現場で、異なる知をつなぎ、場を動かし、よりよい意思決定を生み出していくリーダーである。